暗記脳

わたしには、多分、世の中で暗記脳って呼んでいるものがあります。


それは、おそらく、小学生で通い始めた○○式で身に付けたと思われます。繰り返し問題を解き、問題のパターンを知り、覚え込みます。印刷された問題を解くためのものです。最初は、数学だけで使っていましたが、暗記が必要になったとき、他の教科でも有効だとわかりました。


この方法で覚えたものは、実は、応用がききません。少なくとも、わたしは、応用させることができません。
どういうことかというと、英単語の場合、意味を覚えたとしても、文章で出てきたときに、滑らかな日本語に意訳することができません。数学では、計算して、解を導くことはできるけれど、その解が意味するものが理解できないのです。
これは日常生活でも同様です。パターン化された現象であれば対応できますが、レアケースでは、どうしたらいいのか途方にくれてしまう。そもそも、レアケースを想定できない。起きて初めて、こんなことがあり得るんだ!と驚き、固まるのです。


臨機応変が苦手なことは、小さい頃から自覚していました。でも、どうしてそうなのかは、わからずにいました。暗記脳的なものを持っていることも、よくわかっていませんでした。
ただ、そういう自分でも、経験を通じて学んだことは、他のことよりも柔軟にできることは知っていました。


小1となったじゃすのことで悩み、モンテッソーリ教育について学びはじめたわたしは、てんしのおうちのIT勉強会に参加するようになり、そこで、早期幼児教育の弊害について知りました。


モンテッソーリ教育を受けた子は、お受験にも強いようで、幼児教室などでモンテッソーリ教育的なことをしているようですね。←我が子が通っていたわけではないので、ググった限りでは、そう感じたということです。
でも、モンテッソーリ教育は、お受験向けのものではありません。


話を戻します。
幼児教室で詰め込み教育されたお子さんの様子が、自分に重なるのです。ああ、なんだ、そういうことか。困難の理由がわかり、一種の安堵を覚えました。
暗記脳的なものから逃れるにはどうすればいいか。もうこの年ですし、変化する方向での成長や退化は少ないかも。とりあえず、経験や実践を大切にしつつ、想像力をできるだけ働かせようという結論になりました。


この暗記脳的なものって、ゲーム脳に近い気がします。科学的根拠を調べたわけではありません。直感なのか、経験則なのか、そう思っています。
だから、覚え込ませる系の早期幼児教育や進学塾や携帯型のゲームを子どもに近づけるのが怖かったりします。